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"Everything in Life is Only for Now."
これはB'wayのヒット作“Avenue Q”の最後の台詞です。 人生いいときも悪いときも決していつまでも続くわけじゃないんだから、投げず、腐らずその時々をなんとかやっていこうや。 この作品の根底をなすこのメッセージ、このブログのタイトルにしました。 ありがとう、エキブロ新聞 フォロー中のブログ
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あぶ先生もおっしゃっていたけど、ブログコミュニケーションの特徴はコミュニケーションサイクルがいい意味で長くなること。それゆえに、ある問題について、それが周りでは旬が過ぎたように思われても、本人にその気さえあれが、じっくりマターリと考え続けることができる。snowdropさんはそれをなさっていて、Micro/Macroという記事をアップなさって、TBを送ってくださった。俺もこういう、「昨日終わった話にこだわる」というのは結構好きなので、お付き合いしてTB。 「答えを出す人」の俺としては、まず設問を明らかにしておきたい。 「なぜ、ブログが書けなくなってしまうのか?」 snowdropさんは元記事のなかで「なぜ、ブログが書けなくなってしまうのか」というのと、「なぜ、ネット上のコミュニティは分解してしまうのか」という2つの問いかけをなさっているように見受けられるが、後者についてはここでは保留。 何故、ブログを書けなくなってしまうのかという問題に答えるのが難しいのは、そもそも、「何故ブログを初めて、何故それを続けているのか」という問題にはっきりした答えを持っている人が極めて少ないからだ。Harryさんの記事は、そのことを各自が考え直すきっかけとなったわけだけれども、中には自分のことだけ考えるだけではなく、ある明快な答えを出さずにはいられないタイプの人もいる。いわゆる「研究者」というのにその手のが多いらしいが、果たして同業者であるraphieさんと俺はそうせずにはいられなかったようだ。ちなみに2人の答えをひとことで言い表すと、 「かけなくなるのはインプットが枯渇しているからだ」(raphieさん) 「いままで爆発的な成長期の熱気でみんな熱病にかかったかのごとく、懸命に更新していたという状況がいつまでも続かないことのほうが自然だ」(sabretooth) という感じでいいと思うが、俺はこれにもうひとつ別の答えの可能性について付け加えておきたい。それは、 「書けなくなるのは、読まれるようになってしまったからだ」 ということ。 ***** これを書こうと思ったのは、人気ブログほど、この「書けなくなる」問題が深刻なように思われるから。実はこれを書く数時間前に、とある人気ブログが休止宣言を出したのをみたのだけれど、なんやら、ピックアップブロガーに選ばれると休止するってなジンクスが出来かねないような状況だ。もちろん、個々のケースについてあれこれ詮索することはできないのだけれど、全体として、「人気ブログになって読まれるようになる」というのは、「それがゆえに書けなくなる」ということの大きな誘引のひとつだと思う。 この「ブログを書けなくなる」という現象は、アメリカではすでに去年あたりからいろいろいわれていて、"Blog Burnout"(「ブログ燃え尽き症候群」とでも訳しておこうか)という名前で知られている。俺がこれについて知ったのは、あるアメリカの政治談議系の人気ブログのケースについての記事を読んだことだ。その記事ではないと思うけど、検索でほりおこしてみた。(これ) この記事のケースでいうならば、政治談議系のブログを始めて人気が出た→コメントが何百とつくようになった→その対応に追われるようになった→疲れてきた→更新が途絶えるようになった→どうしたんだという「心配のお見舞い」のコメントがくるようになった(たった数時間更新が途絶えただけで!)→ますますプレッシャーになった→休止、というような経路をたどったようだ。 ブログというのは双方向性の強いメディアだ。書いたものに反応があるのが嬉しい。だが、いったん反応が出てしまうと、そのこと自体がプレッシャーになるということは確かにあると思う。「読まれることの喜び」が「読まれなくなるかもしれないことへのプレッシャー」に変わるわけだ。まあ、「読まれなくなるかもしれない」とまでは思わなくても、「前に書いたものほど面白いものではなくなるかも」というプレッシャーはあるのではないか? Harryさんへの記事へのコメントで特に創作系のブロガーの方が異口同音に、「いままで誰にも読まれないままに書いてきたものがブログを通じて読んでもらえた喜びでブログを書いてきた」ということをおっしゃっているが、そのことは「読まれなくなるかもしれないことへの恐怖心」と表裏一体だと思う。でも、そんな「ああ、ファンのみんなに捨てられてしまうかも…」なんていう「往年の大女優」みたいなことをマジでいうわけにはいかないので、代わりに「忙しい」というような言葉でまわりを納得させることになる。 さて、こういう状況に対して何か妙案があるのかどうかというと、妙案かどうかはともかくとして、「開き直る」ことの大事さについては強調しておきたい。つまり、 俺が書きたいことだけ書く 文句があるやつは来るな! といいきってしまうということ。(もちろん、その通りブログに書く必要はないけどね。)ついでにいうなら、 人がどう思おうと知ったこっちゃねぇ! という態度も大事だと思う。双方向性が強くて反応があって何ぼのブログだけに、こういうそれとは相矛盾する態度が必要なのではなかろうか。 この開き直り、休止したブログが再開するときにとっても重要な気がする。だって、一度止めてしまうと、始めるときに「前のようなレベルで書くことが出来るだろか、前のように読者がついてくれるだろうか」という不安が余計に増幅されるのだから。 Harryさんの「毎日のゴミだし」、あるいは俺や他の方の「思考の垂れ流し」という比喩は、実はこうした開き直りの態度を婉曲に表したものだはないのかと思ってみたりするのだが。 最後に現在休止中のある人気ブログが過去に勝海舟の言葉として引用していたものを再引用させていただきたい。 「行ないはおれのもの、批判は他人のもの。おれの知ったことではない。」
by sabretoothjapan
| 2005-03-14 04:02
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