「セクシーボイスアンドロボ」、タイトルの奇抜さにひかれて見始めたのだが、見ているうちにどうにも、いまでもカルト的な人気をもつあるドラマとイメージがオーバーラップしてきて、その興味で見続けている。
「傷だらけの天使」だ。
「ロボ」の中で一番「天使」のイメージと重なるのが、浅岡ルリ子の演じる探偵社(?)の社長で、「天使」では、最近亡くなった名女優岸田今日子が演じていた。おそらく、浅岡はあの役を意識して演じているのではないかと思われるのだが、それ以外にも、全体のコンセプトがどちらもとても似ているのではと思った。
2つのドラマのテーマをひとことでいうなら、これは「社会不適合者の主人公が、同じような社会的不適合者の引き起こす事件にかかわっていくうちに、生きていくことの意味とか、生きるってなんて業の深いことなんだろうっていうことを感じ取っていく物語」ということ。
「天使」では、荻原健一演じる納は、高倉健や菅原文太の東映ヤクザ映画の任侠の世界にあこがれるがそれが社会の中で受け入れられず、ぶつかっては傷つくというハードボイルド的負け犬というキャラで、同じく負け犬の亨(水谷豊)とのコンビが光っていた。
「ロボ」では、別の意味での社会不適合者が主人公だ。松山ケンイチはオタクで、もてたいと思いつつもけっしてそれがうまくいかない。もうひとりの主人公ニコ(大後寿々花)は多感なティーンエイジャーで、その多感さがまわりになじめず、普通に生活をおくりつつも違和感を感じ続けている。(2話に出てくる「好きな人がいるわけではないのだが、好きな人がいないとあれこれ詮索されるのでそれがうっとおしくて○○君を好きということにしている」というエピソードはその辺がよくでているように思った。)
各エピソードに出てくるキャラも、いろんな形で社会になじめないでいる。奥さんを亡くしてその奥さんの腎臓を移植された人にあうために強盗してしまう人とか、自分の生きる意味がわからなくて子供を誘拐しているふりをしている女とか。それらの連中が引き起こす奇妙な事件に主人公が振り回されるというのも、「天使」とよく似ていると思う。
あと、これは俺だけかもしれないが、映像の撮り方というかドラマの進行させ方が、「天使」では意識して使われていた60年代的ニューシネマみたいな、ストーリーをオーソドックスにおっかけないで、各シーンをモザイクみたいにつなぎ合わせている手法を「ロボ」にも感じた。
どうやらこのドラマ、マンガを原作としているらしい。そのマンガを知らないので、原作のコンセプトがどんなものかわからないのだが、作っているスタッフは「天使」を意識しているのではないかな?少なくとも浅岡はしていると思う。一方で、これを宣伝しているテレビ局のほうは、そのへんは意識してないと思う。公式HPで「事件を次々と解決していく冒険活劇」とあるが、見ていれば、事件を解決しているのではないことはわかると思う。事件に振り回されて、それが勝手に解決していくプロセスにかかわっているだけだ。この違いは大きいと思う。
もし、このドラマが興行的にうまくいかないとしたら、その理由のひとつは、この製作サイドのコンセプトの理解の不一致みたいなところからくるのではなかろうか。
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「天使」と「ロボ」に類似性を見た人、俺以外にもたくさんいるだろうなあと思っていたら、やはりたくさんいて、その中のひとりがこちらにもよく来てくださっているウエダさんだった。
その記事と、同じくレビューをあげられた
からーさんの記事にTBさせていただきます。