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"Everything in Life is Only for Now."
これはB'wayのヒット作“Avenue Q”の最後の台詞です。 人生いいときも悪いときも決していつまでも続くわけじゃないんだから、投げず、腐らずその時々をなんとかやっていこうや。 この作品の根底をなすこのメッセージ、このブログのタイトルにしました。 ありがとう、エキブロ新聞 フォロー中のブログ
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ギズモ:「あの~、いいんですかね、せばさん、下の記事にウエダさんとらふぃさんからとても丁寧なコメントいただいてるのに、お返事しなくて。」 黒せば:「いつもの悪い癖だな。日記でえらそーに、思いついたこと書き散らして、反応が返ってくるとどうしていいかわからなくなって引きこもっちまうのは。」 白せば:「まぁね~。でも、せっかくきちんと反応していただいて、質問までいただいてるのに、放ったらかしはよくないよね~。」 助手せば:「あの~、組織と市場って、いわゆる取引費用経済学の話ですよね。僕はそっちは専門じゃないですけど、少しはわかりますので、せばさんの替わりに精一杯説明してみましょうか?素人の生半可な知識になっちゃうかもしれませんけど。」 白せば:「うんうん、助手君、よろしく。どうせせばだって、いいかげんなことしか書けないんだから、君が精いっぱいやってくれれば、それでOKだよ。でもって、そのあとにボクがせばがあそこで何を言おうとしてか、「翻訳」してみるよ。」 素人による「取引費用経済学」序章 by 助手せば 経済活動に必要な様々な調整機能をどうやって行っていくかという問題は、経済の根源的な問題のひとつといえるわけですが、それを市場による取引という形で行うのがいいのか、それとも、人間同士の組織的な調整によって行うのがいいのか、など様々な議論がなされてきています。その中で非常に影響力のある理論の一つが、「取引費用」という概念をもとに展開された理論です。これは経済学者のロナルド・コースによって20世紀の前半に提唱され、その後長いあいだ特に注目を集めることがなかったのですが、1970年代にオリバー・ウィリアムソンという経済学者が取り上げてそこから自分の理論を展開したことで大きく注目を浴び、コースはその後ノーベル経済学賞を受賞することとなりました。そのウィリアムソンの代表的著書のタイトルが「市場と組織」で、このフレーズは、取引費用経済学がいったい何を分析しようとしているかを一言で言い表せているのではないかと思います。 では、その「取引費用」っていったいなんでしょう?それには、「なぜ経済活動に組織って必要なの?」という問いかけをしてみるのがいいかと思います。大学で一般教養でもいいから経済学を学んだことのある方なら、古典主義経済学が、市場至上主義といえるほどに、すべての経済活動は市場を通じて行ってこそ最も効率的だとう考え方がなされているのをご存じだと思います。でも実際には、多くの経済活動で組織というものがそんざいしていますよね。それは何故なんでしょう?コース、そしてウィリアムソンによれば、それは市場取引には「取引費用」というものが発生するからで、その費用を最小化しようとした場合、市場メカニズムにたよることが必ずしもベストではない場合がある、ということです。 取引費用を定義すると、文字通り取引に必要な費用で、それ自体はとても幅広い概念で、市場取引にかかるコストすべてが含まれます。 例を見るのがいいでしょう。例えば、最近問題になった冷凍ギョーザの農薬問題のような話を作ってみましょう。冷凍食品メーカーは、ギョーザの調理を行う上で、それを出来るだけ低いコストで行いたいと思っています。そのために市場メカニズムが利用され、つまり、世界中からその仕事をやってくれるところを選び、結局中国の工場に下請けに出すことにしました。つまり、市場の恩恵を受けて、最も低いコストを達成することができたわけです。ただここで問題なのが、中国の下請け工場は「取引相手」という独立した組織なので、その内部の活動を無償でコントロールしたり管理したりすることはできないわけです。食品という安全性の確保が命綱であるような製品で、取引相手の活動をモニターしようとしたら、かなりの費用が発生するだろうと覚悟しなくてはなりませんね。今回の場合は地理的にも離れているし、相手は外国の政府の管理下にあったりするわけですから。それでもその監視を行おうとした場合にかかる費用は「取引費用」の一部だといえます。実際に起こったケースでは、そんな費用は払えないので、監視を行わず相手を信用した結果、あのような大スキャンダルに発生して、結果的に大きなダメージを負うこととなってしまいました。それもまた、取引費用の一種だといえます。また、そういうモニターを行おうとして、そのために必要な合意を相手から得るためには、契約の段階でかなりの辛抱強い交渉が必要でしょうし、法的なアドバイスを得るために弁護士を雇ったりもしなくてはならないでしょう。その為の費用もまた取引費用です。 そうした様々な取引費用の発生に苦しめられた冷凍食品会社にとって、何かもっと別の解決策はないのでしょうか?そのひとつが、ギョーザの製造を下請けに出すのではなく、自ら行うことです。つまり、市場ではなくて組織を利用するわけです。極端な形にするならば、中国で農場を経営して、その加工工場も自分たちで経営する。そうすれば、残留農薬の問題などのコントロールもすべて可能になるし、上で述べたような取引費用も発生しなくなります。では、その代償はなんでしょうか?それは材料の調達を組織に固定して、市場を利用しないことで、市場というものの作り出す効率性を利用できなくなることです。例えば、自分たちが農場を経営したとして、その農場で作るよりももっと安くて美味しい野菜が市場で出回っていたとしても、自分たちの組織内で作り出す野菜を破棄するわけにはいかないので、どうしてもそちらを使わなくてはならなくなる。その意味で余分な費用がかかるわけです。 取引費用経済学はこのように、最も効率的な経済活動は、取引費用を最小化するように行われることで達成されるし、そのようにすべきだという考え方をベースとして、展開されています。この理論の貢献のひとつが、「経済活動は組織がいいのか市場がいいのか」という問題を「取引費用を最小化するメカニズムは何か」という問題におきかえることで、「市場対組織」という対立軸で見られがちだった両者を「市場と組織」というひとつのスペクトラムで見ることの妥当性を明らかにしたことです。(その意味でらふぃさんのお考えは取引費用経済学のそれと一致しています。)そんなもん当たり前やんと思われる方は、コースがこの理論を発表したのが1937年だったことを思い出してください。ニューディール政策のような政府の経済的介入がようやく行われ始めた時代にこういう考え方は本当に先進的で、早すぎた理論だったともいえるかと思います。事実、コースの理論が脚光を浴びるのは、ウィリアムソンが取り上げた1970年代になってからなのです。 この取引費用経済学によって、その評価が確立したシステムに、トヨタに代表されるような日本の「系列」システムがあります。トヨタの系列企業は、公式的には別の企業同士です。ですから、両者の取引は市場取引であり、お互いの利害が一致しなくなればいつでも、取引を解消することができます。その意味で両者の間には、市場取引の効率化の源泉とも言える緊張関係が存在しているのですね。でも、トヨタと系列企業との間の関係はそれだけでは割り切れないものがあります。両者には長年の取引関係に基づく信頼関係がありますし、お互いの内部情報も、その他の市場取引には見られないほど、濃い情報がやりとりされているのでしょう。それゆえに、トヨタと系列企業との取引は、普通の市場取引に必要な交渉、監視といった「取引費用」が発生していないといえ、その意味で、組織内部での取引に近い部分があるといえます。こうした系列システムを組織でもなく市場でもない、その中間に属する「中間組織」として取り上げたのは、取引費用経済学のひとつの貢献だといえると思います。 助手せば:「僕にいまできる説明はこんなところですね~。」 白せば:「助手君、ご苦労さま~。んじゃつぎにボクが、この考えたかに影響を受けたせばが、何をいわんとしてたのか、がんばって、解説してみますね。まあ、思いつきで書いた話なんで、いーかげんな部分もあったんですけど、我慢してくださいませ。」 「組織と市場」、「組織か市場」、さらには「国家対市場」 by 白せば せばは経済学者ではありませんが、彼は上で助手君が説明してくれた取引費用経済学の基本的な考え方には大きく影響を受けています。そんな彼は、現在の経済の諸問題に対しても「組織と市場の間でどのようなポイントに持っていくのがいいのか」という問いかけをしています。彼が下の記事で「落とし所」という言葉を使っているのはそういう意味です。で、そういうせばが、現在の風潮に対して抱いている問題意識というものを一言でまとめると、 「市場と組織というものは対立する概念ではなく、その間での選択の問題なのに、市場偏重主義に懲りた人たちが、あたかもそれを対立する概念のように考え、結果としてかなり反動的に、しかも無警戒に組織によるコントロールを導入しようとしているが、それって危ない方向なのではないか」 となるのではないかと思います。ま、ボクはせばじゃないんで、よくわからないし、せばも自分で自分が何考えてるのかよくわかってないんじゃないかなんて疑ってますけどね~。 サブプライムローンに端を発するアメリカ発の経済危機、またはそれ以前から、市場メカニズムの考え方と相容れない考えを持つ人たちは「市場=悪」と考え、「市場と戦う」というような言葉を使って、考え方を述べているようですが、こうした考え方や表現は、せばにはかなり違和感があるもののようです。というのも、市場というものは、それ自体が悪というわけではないし、そもそも意思決定主体でない市場というものに「戦いを挑む」というようなアプローチを取ることがはたして有益なのだろうかと思っているようです。 黒せば:「戦う主体でない相手に戦うっていう態度を取るって、空回りになって方向性を間違うことってあるよな~。例えばさ、2001年の9月11日の例の事件の直後、24時間後ぐらいには、あらゆるマスコミが『テロリズムと戦え』っていうようなフレーズを打ち出して、政府も『テロとの戦い』なんていいだしたけど、その時点でさ、俺思ったんだよ。思想である「テロリズム」と国家である「アメリカ」って闘いになんないんじゃないかってね。だって、テロリズムは思想だから、人々の心の中に存在するし、粗っぽくいっちゃうと、全部のアメリカ人の心の中にもテロリズムにつながる考え方はあると思うんだよな。だから・・・。」 助手せば:「あ~、黒せばさん!その話そっちに展開しないでください~。また話が大きくなっちゃいます~。」 黒せば:「なんだよ~、せっかく乗ってきたのに~。ま、いいや、でさ、アメリカが戦うことを選んだのは、『テロリズム』っていう思想ではなくて、『テロリスト』っていう人間になり、さらには『テロリストを支援している国家であるアフガニスタン』っていうように、国家であるアメリカが戦いやすい国家という相手を選んじまったわけだ。でも、これって本末転倒だよな。問題はテロリズムという思想自体にあるのに、戦いたいが故に、戦いやすい相手を選んで結局問題の本質的解決にならないような戦争やっちゃってるんだからさ。」 黒せばの話で脇道にそれてしまいましたが、彼のいっていることは、せばのこの経済問題への考えと無縁というわけではありません。せばの思うには、市場はそれ自体悪というわけではないし、戦う相手でもありません。対立もしていません。なのに、あたかもそういうアプローチと態度がとられてしまうことで、問題の解決からより遠くなってしまうのではないでしょうか。 せばの考えるところでは、なぜこういう考え方がでてくるかということの大きな理由は、ここで市場と対立する存在としてでてくる組織が、組織のなかでも「国家」という名前の特別な存在の組織なのだからではないだろうかということです。 「国家対市場」というように両者を対立概念と捉えて分析していく研究は、かなり古くからあるようで、分野で言うと政治学、あるいは社会思想論に入るのでしょうか。残念ながら、せばもボクもそちらのほうは、全くの無知なので、これ以上は言及しません。ただ、せばが思うのは、「組織と市場」のあいだでの新しいシステムを模索していくべきところで、いつの間にかその問題が、「国家対市場」の対立の延長として捉えられ、「組織か市場」かの選択の問題にすり変わったりすると、問題が解決にはならないということです。 でも、アメリカで起きていることを見ていると、どうも「国家」が不用意に市場システムに介入して抑え込もうとしているし、それができるのだと勘違いしている節が見受けられます。アメリカには、日本やヨーロッパと違い、私企業の経営に政府が介入して、影響を及ぼすということに対する伝統がありません。なのに、今回アメリカ政府がやろうとしているのは、世界最大級の企業であるGMに対して、一時的にせよ筆頭株主となるということなのです。せばが下の記事を書いた直前に報道されたある下院議員の発言は、せばを本当に不安にさせました。それは、政府がGMのオーナーになったんだから、これからは、パーツもアメリカ製のものを優先的に購入させるようにすべきだ、そうすれば雇用も確保できるではないか、というもの。そう、日本人なら、こういう発想がいかに危険かわかりますね。経営にとって何がベストかという観点ではなく、政治的な都合から、あれこれ企業の経営に介入したあげく、経営を行き詰らせてしまうというのは、一昔前日本が第3セクター方式で失敗したやり方と同じではないですか。 こんな風に、問題の本質をとらえ間違えて今回の経済危機に対処すると、行き付く先の極限には、北朝鮮みたいなシステムがあるんじゃないのというのが、せばの考えだったようですが、下の記事を読むと、それをうまく言い表せてるとは言えませんね~。ごめんなさい。ま、彼はああいう日記の中での放言を脊髄反射的に書いてるし、そうすることで、何かに書くことでさらに自分の考えがまとまっていくことの利益を享受するために、そうした放言も許容することにしていますので、許してやってくださいませ。あと、ここでは主にアメリカでの話を例にしましたが、せばは、日本での問題、例えば郵政民営化の方向性などについても、同じ問題のにおいをかぎ取っているようです。その辺は、またいつか何か書く 黒せば:「というか、書いちまって、またやらかしちゃう」 かもしれません。 黒せば:「さ、せばの脊髄反射記事のフォローも終わったし、晩飯食いに行こうぜ~。」 ギズモ:「わ~い、今日は【肉ぅ】記念日ですからね!」 助手せば:「では、その前に、毎年恒例の一言行きますか。」 白せば:「んじゃ、いくよ!ボクらの心からのメッセージ。いっせ~の~せっ!」 黒、白、助手、ギズモ: 「「「「らふぃさん、お誕生日おめでとう!!!!」」」」
by sabretoothjapan
| 2009-06-22 17:01
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