ツイッターでちょっとしたブレイク中のデーブ・スペクターのツイート。
「福島という素敵な地名が原発事故の場所として記憶されるのはあまりにひどい話です。いまから原発を誰かの名前にするとか何か手はないでしょうか。」
ああ、これは面白い考え方だ。実は俺も気になっていた。今回の原発事故で、”Fukushima"の名前が、「原発」もっと露骨に言えば「放射能」と連想して、世界中に記憶されるのはもはや避けがたい。でも福島って言ったって、広いわけで、今回の事故がどう落ち着こうが、福島県全体が放射能で汚染されるわけではないのは、日本人ならわかるが、世界の人にはそうではない。
我々だって似たようなもので、「チェルノブイリ」で「原発」以外のことは思い浮かばないけど、「チェルノブイリ」というのは、れっきとした街の名前であって、
ちゃんとした歴史があったのだ。(「あった」と過去形で言わざるを得ない辺りが、あの事故のすさまじさであろうが。)
いまや、日本中のどの都道府県も、外国からの観光客誘致に奔走している(せざるを得ない)ご時世だ。そんな中で、今回福島県が受けたダメージはあまりにも大きい。
で、デーブ・スペクターの提案だが、彼は直接は言及していないが、原発は、それを誘致したり、推進したりしたりした政治家の名前を「冠して」しまえと示唆しているのだろうと思われる。呼び込んだんだから、最後まで責任とってよ、というわけだ。まあ、実現の可能性はというと、あんまりないとは思うが、政治家の皆さん、経済面等ポジティブな面だけ強調して、誘致してないで、これぐらいの覚悟は固めてよ、というのは、かなりの数の人が思っているのではなかろうか。