(タイトルからすると、最近の傾向として長文を予想させるが、それはない。ただし、問題を提起するだけで、答えは無しね。)
俺はいわゆる戦後民主主義的な教育を受けた。そこではやたら、「権利」の大切さが強調されていた。おかげで学級会はいつもぐだぐだだった。だって、みんな権利を主張して、誰も「責任」を取らなかったから。戦後民主主義が行き詰って、「権利」に「責任」が伴うことが強調され始めたのはいいことだ。
海外で自分に与えられた権利を行使している人たちがいる。
外国人と結婚したい女性達がいる。結構な数がいるらしく、エージェントが商売として成立させて、イギリスにも大量に送り込まれつつあるらしい。よろしい、彼女達にはそうする権利がある。でもおかげで、
イミグレが厳しくなったり、日本女性に偏見が集まるのではという心配が出ている。
イランに住んで見聞を広めたい人がいる。そのために語学学校に入学して留学ビザで入学しているそうな。よろしい、彼らにはそうする権利がある。でも彼らが学校サボって「見聞」を広めてるおかげで、
イラン政府は日本人への留学ビザ発給を差し止めてしまって、本当に勉強したい人が困っている。
これらの「権利」にともなう「責任」ってなんだ?日本人であることの責任?なんとなくわからないでもないが、具体的にはなんだ?第一、なんで日本人に生まれたからって、そのことに責任をもたにゃならんのだ?やっぱ、海外に出たその瞬間から、日本人であることは、単なる「存在」から「責任」になるのかな?
「日本人であることは、特に海外にいるときには、それ自体が責任となる」という一見無茶な命題、直感的には正しいと思う。でも、それが何故正しいのかとか、その責任の具体的な中身はなんだと聞かれても今の俺には答えられない。