今の状況からは想像も出来ないかもしれないが、1970年代には、日本の自動車メーカーがレースに参加するなんていうのは、全く考えられなかった。それ以前の1960年代には、日本車メーカーは海外でのブランド確立という意味もあって、盛んにレースに参加していたのだ。ホンダの第一期F1プロジェクトがそうだったし、ニッサンのサファリラリー制覇なんていうのもあった。そうした時代を背景として、石原裕次郎が
「栄光への5000キロ」なんていう映画を作って自ら主演もしていた。
ところが、1970年代、自動車メーカーの緊急の課題が排ガス規制対策に移ると、彼らは次々とレースから撤退し始めた。俺は特にレース好きというわけではなかったけれど、それでも、70年代のスーパーカーブームなどの最中にいて、カッコイイ自動車というものに触れてきた男の子としては、日本の車がそれらの蚊帳の外だったのは寂しかった。
そんな俺の心のなぐさめになっていたのが高齋正という小説家が70年代の後半に書いた架空のレース小説だった。彼はホンダがF1に復帰したら...というような設定での小説を次々を発表し、俺はそれらを夢中で読んだ。
そのひとつが
「ニッサンがルマンを制覇する時」だ。ニッサンがR384というレースカー(オートマ、ABS、エアコン付き!)でルマン24時間レースを制覇するのだ。これを読んで俺は、脳内で、レースの実況中継をやったものだ。
「さあ、レースも23時間を過ぎついにあと1時間を切りました。依然として1位はポルシェ、それを30秒遅れで追う、ニッサンのR384。ニッサンに追いつくチャンスはあるのでしょうか...。
あ、ポルシェのエンジンから煙が!エンジントラブルか?ポルシェがスローダウン!その脇をニッサンが抜けていく!ニッサンが1位だ!1位ニッサン!1位ニッサンだ!...
1位ニッサンだ!
いちいにっさんだ!
いちーにっさんだぁ...
1、2、3、ダァーー...
1!
2!!
3!!!
ダァーーーーー!!」
以下テンプレとつぶやき
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(*´∀`)イノキボンバイ~馬鹿になれ夢をもて~祭り!参加要項(´∀`*)
え~・・・・・・・。
世界の至宝!アントニオ猪木のあまりにも有名なこの言葉っ!!
1!2!3!ダァーー!
でありますがっ!
まあ、通常は大きな大会の〆とか試合が終わった際とかに使用されます。
いや、でも、この言葉の可能性は無限大であります。
皆さんもこの言葉に至るまでの過程を創造しぃぃ!!
個性あふれる!オリジナルの1!2!3!ダァーーーー!
を紡ぎだしてみませんかっぅ!!
あなたの!1!2!3!ダァーーー!が世界を変えるっ!!
え~・・・・。
期間は1週間(〆切4月18日13時)または20トラバ?
※誰でも参加出来るようにこのテンプレを記事の最後にコピペして下さい。
企画元:鰹(http://katuo0076.exblog.jp)
協賛?:上清水大先生!(http://kshimiz136.exblog.jp/)
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レスキューしに来たはずなのに、ミイラ取りがミイラになっちゃった。
なにやってんだ?俺。
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これに参加してます。