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"Everything in Life is Only for Now."
これはB'wayのヒット作“Avenue Q”の最後の台詞です。 人生いいときも悪いときも決していつまでも続くわけじゃないんだから、投げず、腐らずその時々をなんとかやっていこうや。 この作品の根底をなすこのメッセージ、このブログのタイトルにしました。 ありがとう、エキブロ新聞 フォロー中のブログ
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さて、"Piazza"の2回目を観てきた。 前回のレポートをお読みいただいた方にはお分かりかと思うが、この作品、俺が重要だと思った部分が曖昧なままに、終了してしまうという点に納得がいかずに、あれこれ分析してみたわけだ。 で、今回そうした点に注目しながら、再見したのだが、その結果、少しというか大事な点で"Piazza"の作品観が変わることとなった。 1.果たしてNaccarelli父は、Claraの障害を芝居の終わるまでの時点で知っていたのか? 答え:そんなことはどうでもいい 前回のレポートではこの問題にこだわって、ATCにまで質問した訳だけれども、今回この作品をその点に注目して観た結果、俺なりに理解したのが、「やはり、この問題について、作者は曖昧なままにしている。そして、その曖昧にした理由はそれが『どうでもいい』ことだからだ」ということ。 初見の際に、俺は、"Piazza"を第三者的な視点から、ひとつのドラマとして理解したのだが、おそらく作者は、観客にもっとMargaretに近い視点からこの作品をとらえることを期待しているのではないだろうか。そのように考えてみると、Margaretの答えは、Naccarelli父がClaraの障害に気づいていようがいまいがどうでもいいのだということになる。 主人公のMargaretは、この作品中愛されるということに恵まれない女として描かれていると思う。夫のRoyとの関係は冷え切っており、娘とのイタリア旅行にも、彼は同行しないし、彼女からの電話にも冷淡な対応しかしない。 一方で、彼女は娘のClaraが、他人を愛し、また愛されることを阻もうとしている。知的障害のあるClaraには人を愛してもそれを維持していく能力はなく、母親の庇護を必要としているというのが理由なのだが、一方で自分が夫から愛されていないMargaretには、愛し愛されているClaraの恋愛が実るのを阻んでいることに対する葛藤がある。その葛藤の中で、彼女が最後に到達する境地と言うのは、いってみれば「恋愛至上主義」のようなもので、愛し合っているなら、その感情に素直にしたがって生きるべきというものだ。 そのことがよく表れているのが、Royとの2度目の電話での会話だ。Claraが結婚するということを知り、驚愕し、なんとかそれを止めようとするRoyは、Claraにはたとえ結婚しても、育児の能力さえもないことを指摘し、そして、先方(Naccarelli家)はClaraの障害のことを知っているのかを問いただす。それに対するMargaretの答えは、「そんなことどうでもいいの!(It doesn't matter!)」である。そして、FabrizioとClaraがお互いに深く愛しあっていることを指摘して、その愛を遂げさせるのだと夫に告げる。 この恋愛至上主義、確かに気持ちはわからないでもないが、同時にそれは危険なまでに破滅的でもある。だって、恋愛感情という激情にまかせて後先考えない行動を認めてしまうという部分があるのだから、これには。そして、ClaraとFabrizioの恋には、かなり破滅的な運命が待ち構えているといってもいいだろう。仮にNaccarelli父がClaraの障害に、現段階で気づいていなくても、結婚後にそれがわかるのは確実だ。その時に、Naccarelli家の人々は、Claraを同じように受け入れられるのだろうか? にもかかわらず、Margaretは、Claraの恋を遂げさせようとする。そして、Margaret自身、その破滅的な運命に、気づいている節がある。芝居の最後のMargaretのソロナンバー"Fable"で、Margaretは恋愛感情というものが「永遠にはつづかないかもしれない」というようなことをいっている一節があったように思う。(確信がないのでCD買ったらチェックするが。)つまり、Claraの結婚生活には不安だらけなのはMargaretも理解しているのだ。それでも、彼女の愛を遂げさせようとする、決意こそが、この作品の最後の部分となる。そして、その是非については、作者は完全に判断停止して、それを観客にゆだねていると思う。 2.Naccarelli父とMargaretの関係 答え:友情とか同情以上のものだが、具体的になんなのかは不明 k-cocolさんのレポートで、Margaretは夫との関係が冷え切っており、Naccarelliと「いい感じ」にあると書いておられる。前者については俺も賛成だが、後者については、よく分からなかった。で、その辺台詞などに注目してみてきたけど、やっぱりわからなかった。最後にNaccarelli父がMargaretと友達以上のキスを交わすシーンがあり、それゆえに、2人の感情は、友情とか、同情以上のものとは思われるけど、具体的にはどんなものなのか、本人達にもわかっていないということなのではないかと思う。 ただ、Naccarelliに対する感情が、Claraの愛を遂げさせたいと思う、Margaretの行動の伏線となっているというk-cocolさんの指摘は鋭いと思う。俺は初見の時そんなふうには考えが回らなかった。彼女は女だから理解できたとおっしゃっているが、男がわからんかったのは、やっぱ男だからかな? 3.Claraの障害の扱い方について 初見のとき、Claraの行動のちょっと変な部分を見ても、俺はそれを彼女が知的に問題があるのだはという推測にはもっていけなかった。でも、今回、予めそのことを知った上で見直してみると、確かに納得がいく。Claraは確かに母親べったりだし、道端で見知らぬ人にいきなり年齢を聞いたりするような行動、美術館で全裸の彫刻の局部に対する興味の示し方、Fabrizioとの密会のためにディレクションをもらっていながら道に迷ってパニックを起こしたりするというのは、確かに子供の行動だ。また、今回やった納得がいったのが、FabrizioがClaraに障害に気づかないのは、彼の英語がたどたどしいので、会話の内容が高度にならなかったということが大きな要因らしいということ。まあ、その程度の会話で結婚まで決めてしまうところに、「恋愛至上主義」みたいなものをやはりみてしますわけだ。 こんな風に考えてみて、俺がこの作品の、特にエンディングに納得がいかず、あれこれ詮索せずにいられなかったのは、この作品の持つ「恋愛至上主義」に俺が必ずしも共感してないからかなあなどと、2回目をみた今思っているところだ。
by sabretoothjapan
| 2005-05-19 18:55
| 観劇記録
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