とあるブログで、ある高校野球関係の記事を拝読した。(趣味関係のブログで、こちらのコミュニティとはお付き合いを分けさせていただいているのでリンクやTBは遠慮させていただきます。)その中で元記事としてリンクされていたのが、これ。
「進学校開成が24-0快勝発進/東東京大会」
これだけを読むと、進学校である開成高校の野球部の選手たちは、練習環境にも恵まれないのにがんばって、大会で勝利を挙げたというように、この高校の勝利を「もやしっ子君たちの快挙」として称賛している。これはこれで確かにそうだし、そのことを否定したりケチをつけたりする気はない。
だが、俺が拝読した記事では、この24対0で開成が負かした相手が蒲田高校であるというところに目を向けている。
この蒲田高校というのは、都内に4校だけある、
エンカレッジスクールのひとつなのだ。エンカレッジスクールという制度については俺も初耳だったが、Wikiによると、「東京都が、既設の全日制都立高校から中退率・生徒指導上の課題状況・地域バランスを勘案して指定した、可能性を持ちながらも力を発揮できない状態の生徒を積極的に受け入れ支援するための施策を実施する高校。」とのことで、「入学選抜に学力検査を実施しない、 定期考査は一切実施しない、1年次における30分授業の実施」といった方針の基に運営されているらしい。こういう話を聞くと、どうやらこれらの高校はいわゆるワルとか落ちこぼれを集めてなんとかするための高校なのだろうなあとか想像してしまうが、蒲田高校も確かに近隣住民から廃校を求める署名運動が起きたりしたこともあるらしい。ここの野球部はそういう環境のもとで活動しているわけだ。
で、俺が拝読した記事を書かれたブロガーの方は、こういうことを知ると、自分はむしろ、そんななかでもがんばっているであろう蒲田高校の野球部にむしろ感情移入するとおっしゃっているのだが、俺の場合はまあ、それほどでもない。実際蒲田高校の野球部の活動状況についても何も知らないわけだし。しかしながら、蒲田高校という高校についてこの程度のことでも知った後なら、元記事の「開成のガリ勉君、がんばる!」というような論調がいささか能天気なものに見えてはくる。これは「それぞれ違った事情で(おそらくや)練習環境に恵まれない(高校野球の世界では)底辺にある2つの高校が対戦して、片方がもう片方を大差で打ち破った試合」なのだ。
俺が強調したいのは、もし俺がこのブログ記事を読まずに、リンク先のニュース記事だけを読んでいたらおそらく、「開成もがんばっとるな~」というような感想をもったであろうなということ。どんなニュースにも、それがたとえプロに書かれたものであっても、そこには書いたものの視点が存在する。それに取り込まれず自分の視点で物事を見る能力を養うためには、普段からの注意が必要なのだな。こんなことは分かっているつもりだったが、普段から注意を欠かさないということがどれだけ難しいことか。
さて、蒲田高校の野球部に感情移入はしなかった俺だが、野球という勝負事に関わるということの残酷な一面については感ずるところがある。蒲田高校の野球部の部員達が、勝負をつける活動に自ら参加したのは確かだし、そしてそこで彼らは負けたのだから、そのこと自体を過度に同情するのは、彼らに対して失礼だとも思う。だがそれでも、彼らが周りから「ガリ勉たちに野球でも勝てない落ちこぼれ達」といった冷ややかな目で見られるであろうことぐらいは、俺でも想像がつく。人をencourageして自信をつけさせる上で大事なのが、高いself-esteem、すなわち、自分の存在に価値を見出すということなのだ。今回の敗戦がそれに貢献するとは思いにくい。
みんな幸せになるといいなあ。